地震の記録を残す日。

こんばんは、ねこうさです。

今日は仕事始めの日でしたが、有給にして休みをいただきました。

地震が起きてから、なかなか寝付けない夜を過ごし、やっと眠れたと思っても余震で目覚めてゆっくり休めずにいたので、昨晩は目覚ましをかけずに寝ました。

それでも緊急地震速報の音が鳴ったような気がして何度か目が覚めてしまいました。大きな被害がなかった地域にいた私ですらこうなのですから、避難所にいる方達は本当に気が休まらない時間を過ごしていると思います。

昨晩、飛行機で石川から東京に戻ってきましたが、今も地元には親や兄弟、親戚、友人達がいるので、私一人だけ逃げてきたかのような罪悪感が拭えません。考えすぎかもしれませんが、そう考えてしまうほどに地震があった地域は今も余震が続いているのです。

今回の地震能登半島震源地だったため、私がいた加賀地方(福井県寄りの地域)は震度5で、幸いにも今のところ大きな被害は確認されていません。しかし、地震発生当時の状況は私の30年余りの人生の中で最も死の恐怖を感じた瞬間でした。この体験をこのまま胸の中に閉じ込めておくには少し苦しいです。共有と呼ぶには違うかもしれませんが、ここに吐き出させてください。幸せな思い出だけをこのブログに書き残したいと思っていましたが、これから前向きな気持ちになるためにも今日は気持ちを切り替えるためのブログを書こうと思います。

 

1月1日の16時頃。私は両親と共に初売りが行われているイオンモール新小松の1階にいました。いくつかのお店を見て回った後、次はどこに行こうかと迷っていた時。突然周囲から緊急地震速報の音が聞こえたと同時に、手に持っていた私のスマホからも緊急地震速報の音が鳴り、スマホが震えました。隣にいた母親と手を繋ぎ、少し先を歩いていた父親を掴まえて、3人固まってその場にしゃがみました。周囲にいた人達も同じ様に家族やカップル、友人達と寄り添いしゃがんでいました。

揺れが大きくなるにつれて、店頭に積まれていた福袋の山が崩れ、目の前にあった食器を扱っているお店からは食器が床に落ちて割れる音。さらにあちこちから悲鳴や離れ離れになっている人の名前を呼ぶ声が聞こえました。

揺れが続いている間、私はTwitter地震について検索。震度5強なので大きな揺れでしたが、この時は震源地が能登半島だとは、そしてこれほどまでに大きな地震だとは思いませんでした。

誰かのツイートで能登半島震源地であること、マグニチュード7.6、最大震度7を観測していることを知りました。

揺れが収まると同時に、店内アナウンスで火災発生の放送が流れました。(実際は火災ではなくスプリンクラーの作動だったようです。)火災=火を使うところ=レストラン街だと考え、レストラン街と逆の方向へ親と逃げました。

その途中「津波警報が出ているから上へ逃げて!」と叫んでいる店員さんを発見。しかし、エスカレーターには2階や3階から続々と降りてくる人達。どうするべきかパニックになりながらも建物の崩壊を恐れて外に出ることにしました。外では非常階段に上って避難する人、車に乗って駐車場を出る人など様々。

我が家はイオンがある場所よりも海から離れているため、家に帰ることを決意。急いで車を出して帰宅し、事無きを得ました。家の中も少し物が落ちた程度で無事でした。

私たちの行動や選択は100点満点の正解ではなかったかもしれません。今になって考えると、家より最近出来たイオンの方が丈夫で食糧などもあるのだから急いで車を出さなくても良かったのではないか等、反省する点はあります。津波が来なかったことが不幸中の幸いだっただけ。

しかし、非常事態は冷静になって状況を理解し、判断することはとても難しいことで、どれだけ備えていても、頭で分かっていても、全て練習通り、想定通りに行動出来るわけではない。だからこそ十分すぎるほどの備えと、日常的に防災意識を高めておくことが大切なのだと思いました。

 

そしてもう一つこのブログをここまで読んでくれた方に知っていただきたいことがあります。

地震後、私と両親が家に到着するのと入れ替わるように、家に残っていた弟が車に乗って出て行きました。弟はとある市の職員なので、避難所開設のために招集されたのです。

私たちが家に入ると、弟が急いで身支度をして出て行った形跡が残っていました。弟はそのまま一晩帰って来ず、食事をする暇もなく、避難所に来られた市民の方々の対応に当たっていたそうです。

弟は幸いにも翌朝帰宅し、その後招集されることなく正月休みを過ごしていましたが、被害の大きい地域では今も避難所で頑張っている職員の方々がいらっしゃいます。その方々も被災者であることを覚えておいていただきたいです。

そして、救助活動や支援活動で来てくれている自衛隊員の家族のように、職員の無事の帰りを待っている家族がいることも。

 

どうかこれ以上大きな被害が起きませんように。行方不明の方々が生きて大切な人達と再会出来ますように。

私の故郷石川県、何度も遊びに行った能登半島富山県新潟県も思い出がたくさんあります。一日でも早く平穏な日々が戻りますように。

 

今日の一曲

Nissy - 僕にできること

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